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皿洗いはつづく

大学生が日々のあれこれを綴る一発書きブログ

幸せとよくわかんない説教の話

楽しいことや嬉しいことがあった日の夜は、いつも謎の不安に駆られる。

こんなに楽しくていいんだろうか、何か後で反動がくるんじゃないか、みたいな考えが心の何処かにあるんだろうか。

まあ、そんなものが無いことは分かってるし、気にし過ぎなのだろう。でも、それをわかって居ても、まだ不安は消えてはくれない。

幸せで居続けるのがなんだか不安なのは、もっと違う理由があるんだと思う。
たぶん幸せだと思ってる今の気持ちが、いつか当たり前になってしまうことへの恐怖的なもの。
言うなれば、幸せへの慣れだろうか。

初めは幸せだと思っても、何度も繰り返すうちにそれは当たり前になっていく。
そしてどんどん自分の中に普通が増えていって、新しい幸せのハードルが上がって行く。
そうなるとそこら中に幸せが転がっているはずなのに、足元にあるものにすら気付けない。そうはなりたくないと、心が言ってるのかもしれない。




…足元といえば、さっき床にあったコンセントの先を踏んでしまった。痛い。ちゃんと使ったら元の場所に戻そうね。
そもそも、最近片付けが中途半端なんですよ。春物入れ替えのために服を引っ張り出してきて、結局片付けきれずに床に点々と置いておく。部屋の中プチバザールですよ。
食器もすぐ洗うようになったのはいいけど、重ねかたが雑。何で細長いものの上に皿置いてるの、物理法則無視してるの?

…完全に今のテンションだけで書いているので、急に説教が始まってしまいました。あとで見返したら、絶対ナニコレってなるやつだ…

話を戻そう(もう戻れなさそう)

新しい幸せを得たいってのは決して悪いことではなくて、むしろ前に進む大きな原動力になる大事なものだと思う。
でも、少し新しい幸せに怯えるくらいが、今の僕にはちょうど良いのかもしれない。幸せになる勇気が足りないのかもしれないけど、それはゆっくり身につけていこう。
今は幸せを特別なものとして置いておくことで、当たり前だと思わず大事にして行きたい。



今日は友人たちと夜桜を見に行ってきた。いつもと少し違うメンバーが新鮮で、いつもと少し違う話もできた。
今まであまり接点がなかった友人が「遊びに誘おうと思ったんだけど、なかなか連絡できなくてね」と言ってきて。僕も全く同じことを考えてたから、何だかおかしくなって笑った。
帰り道、電線の上ではフクロウが鳴いていて、澄んだ夜空には彗星が光った。

多分どれも見過ごすのは簡単な幸せなんだろう。

新しい幸せに少し怯えながら、大切にしながら。日々の小さなものも見落とさないように。幸せに貪欲に生きたいな。